戦国武将と天体観測☆
戦国武将では、新田義貞と真田幸村が天体の知識を持っていたのでは、、と言われています。
新田義貞は、1333年に鎌倉幕府を攻め倒した際、稲村ケ崎から黄金の太刀を投げ入れて神に祈ったところ突然潮が引いて、海を渡って鎌倉に攻め込むことが出来たのだといいます。
天体観測をして「大潮」の時を知っていれば可能なことです。
その頃の日本の天体観測の技術が粗雑で天文歴の精度が悪かった時代ですが、太陽と月の観測だけは続けられていましたので、新田義貞が潮の満ち引きの知識をもっていたことは十分に考えられます。
又、徳川家康から高待遇で味方になるように説得されていた真田幸村は天文に詳しく、木星の運行を観測し、関東の徳川が勝ち、関西の豊臣が滅びることを知ったというのです。
そして恩のあった豊臣家に殉ずるために、幸村は負けることを承知で大阪城に入城したのです。
幸村の旗印の六文銭は、当時の星といわれた六個の天体を示すものと考えられています。
もし、幸村が占星学を使用したとすると、いったい幸村は誰から占星学を学んでいたのでしょうか。
幸村の生まれる17年前にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えに日本にやって来ました。
西洋の文化とともに当時の最新の占星学の知識も日本に持ち込まれたと思われます。
幸村は秘密裏に彼らと接触し、占星学を含めた西洋の文化を学んでいたのでしょうか?
石川源晃著「占星学入門」より